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文系と理系はなぜ分かれたのか を読む

本屋の売れ筋ランキングで棚に飾ってあったところ、ちらっと手に取ってみたらそこそこ面白かったので読んでみた。

内容は「文系と理系という枠組みはいつ生まれたのか」そして「文系と理系の社会との関わり」について、歴史的、現代的な観点から議論している。特に、歴史的側面は学問的分化を、現代的側面は社会的要求について述べることで、それぞれ枠組みの生まれた理由、今後の行く先について考察する。具体的には、前半は現代的学問と大学の始まりである中世ヨーロッパのおけるアカデミーから話をはじめ、日本における明治維新以前以後における学問の在り方、そしてそこから続く現代の理系文系の社会的認識と要請について説明する。後半はジェンダー的側面からの文系理系、現状活発に進められている文理学際研究について述べ、最後に今後の理系と文系についての展望、というのが以上が本書の構成。

感想。最初の3章は「なぜ分かれたのか」についての歴史的側面の話で、自分の置かれている環境と照らし合わせて理解できて、面白さを感じた。特に1800年代のドイツにおける新しい大学方式導入の話は面白かった。1810年設立のベルリン大学の当時の研究者教育方針である(p52)、

他にも新しかったのは、研究と教育の一体化に取り組んだことです。すなわち、既に出来上がった知識を師匠が弟子に享受するという形ではなく、若者が未解決の研究課題に取り組み、先達として教授がそれを支援するという、教育と研究を同時に行う方式に大学が転換されたのでした。

は、自分の指導教員が取っている方式で、なるほど由緒正しい方針なんだなと。しかしこういう方式だと、いわゆる職業訓練的、技術養成的な教育は難しい。これに対して、1830年頃のユストゥス・フォン・リービッヒ(リービッヒ冷却管の人)の取り入れた実験教育方式は、``実践的かつ無駄のない''技術訓練が行われ、多くの成果を出す研究者集団を短期間で養成できた。しかしながら、彼らは逆にその無駄のない教育方針から、狭い範囲でのスペシャリストでった、というわけです。そういう意味では、このスペシャリスト達のほうが、産業利用としては求められる人材なのかもしれない。

他にも、江戸時代の蘭学、洋楽の捉え方や明治維新における西洋学問の受容と普及、学問の捉え方は、現代の日本の学問に対する考えたかにつながる点もあって面白かった。まさか工学部という工学を専門とする学部がきちんと整備されたのは世界的にも日本が初、というのは面白かった。

後半の話は、現代の話ということもあって、もう少し自分の中で情報を集めて再度考えてみたい。話としては歴史的な部分のほうが面白かった。

最近読んでいる「社会思想の歴史」とも関連して、歴史的部分の理解を進めたい。ていうか、ラノベのアイデアにならないかな。