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本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

インターステラー(2014) を見た

プランクダイブ」と「あなたの人生の物語」と「2001年宇宙の旅」を足して3で割って掻き混ぜた、っていう映画 (ただし3作品は小説版を指す)。

アマプラの感想にいろいろ賛否あるけれども、じゃあなんでああいう感想群になってしまったのか、少し考えて、多分ざっくりして言えるのは「冒頭から前半はかなりハードSF臭がするのに、最後の展開で「何故そこで愛ッ!?」ってなったから」ではないかと。

この映画の冒頭は、インタビュー風番組(それこそヒストリーチャンネルにありがちなその時代を経験した人へのインタビューみたいな) の挿入から始まる。そこから回想的に、気候変動し厳しい環境となった未来の地球を描写していく。人口減少が進み、未知の病原菌が蔓延して作物が刻々と絶滅していき、もはや人類がこれ以上住み続けるのは困難となった地球。人々は科学技術を発展させることよりも、農業従事者を増やし喫緊の課題である食糧問題を何とかする方が賢明だ考えていて、そんなわけだから、アポロが月に行ったことは嘘だったと教えていたり、大学に行くよりも農家になれと諭す(エスプリ効いている)。

主人公のクーパーはそんな時代の元宇宙飛行士。ある日娘のマーフの部屋で起きるポルターガイストが重力を使った二進数やモールス信号の暗号だということに気が付く。それはとある地点を指していた...。

という重厚なハードSF臭を漂わせながらこの映画は始まる。いや勿論、「え、重力を使ってそんなこと出来るわけないでしょ」とか思ったりして、「いやいや、なんか落ち着けてくれるはず、何せクリストファー・ノーランやで」とか期待して先を見ていく。NASA理論物理学者が出てきたり、ブラックホールでフライバイするから時間が加速してしまうとかいう、ちょーニッチな科学描写でSFオタク心をめちゃくちゃくすぐられながら「うひょー!これ「トップをねらえ!」で見たことあるやつだ!」とか適当にはしゃいで見てしまう(若さゆえのなんとやら)。R2D2C3POを足して二で割ったHAL9000的キャラクターたちが愛らしくてキュンキュンしたり、ワームホールを抜けた先の星々の探索では、心を病んだ先駆者たちとの鬼気迫る応酬とかでハラハラドキドキ、さぁどうやって落ちをつけるんだ?!

と思って見ると、なんと「俺たちが時間を超える事だったんだよ、そう、愛さ!」みたいな感じでぶっ飛んだ展開を最後の20分近くでかましてくる。そう、冒頭の重力は主人公たちが時間を超えて送ったメッセージだったんだ!

ということを、流石はクリストファー・ノーラン、場面展開や画作りの巧みさで迫るように映し出している。

そう、ここで冒頭の感想に行くわけです、「何故そこで愛ッ!?」。

重厚なハードSF的な書き込みとシナリオ展開でリアリティを醸し出しているところで、最後の最後にご都合主義的とも見える展開で物語を決着させてしまう。ここに見ている人たちの期待を悪い意味で裏切ってしまったんではないかと。最後の展開で感動できる人は前半の描写が緻密過ぎて退屈な気もするし、前半の描写が心地よかった人は、最後の展開に納得がいかなくなってしまったのではないかと。

でもよく思い出せば、例えば「幼年期の終わり」だとか「2001年宇宙の旅」とか、あの昔の長編SFというのは、宇宙に対する壮大な「何か未知ですごいことが起きるのではないか」っていう、憧れと言うか夢想があったような気がするのです。宇宙には何か不思議ですごいことが隠れていて、宇宙を旅すればそれらに出会えるという、漠然とした期待と言うか無邪気な憧れと言うか。

そういう、「ちょっと昔の宇宙長編SF」の映画だと思うと、これはそういう映画たちの正当な後継じゃなかろうか。攻殻機動隊ブレードランナーみたいな太陽系内SFでは、大スペクタクルよりも地味である意味では身近な(現実と地続きなというか)未来像と、退廃的な世界で問われる「人間とは何か」っていう話題が中心的だけれども、そういうちょっと冷めたSFでは味わえないセンスオブワンダーが、この映画にはあるような気がする。だからかわからないけれども、この映画を見た後、なんとなくハイペリオンシリーズを読み直したくなった。

無邪気に宇宙に思いを馳せることを忘れてしまった、「アポロが月に行ったこと」を嘘にしてしまう未来像の現実で良いのだろうかと、そう思わざるを得ない、良い映画だったと思う。