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本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

残響のテロル (2014) を見た

三島リサちゃんが可愛すぎる。 キャラデザがにくい。我々を貶めようという意思を感じる(誰だよ)。 雪穂とか綾波とか玲音とか、そういうこう、我々を萌えさせるある種の臭いがありますよね(ぐるぐる目)。 まぁキャラデザがそうなだけで、中身はいたって普通な女の子なんですが(前述の彼女達が異常ってわけではないんですけどね...)。

あらすじ

青森県某所。雪が吹き荒れる車道。対ガス装備に身を包んだ少年が遊撃車を走らせる。 意気揚々と彼が向かうのは人目を逃れるようにたたずむ研究施設。 高いフェンスに軽機関銃を携える警備員という、あまりにも異常な厳重さで守られているそこに、彼は勢いよく突っ込んでいく。 そして手榴弾を手に持つと、ためらいなく門に投げた。

爆発と時を同じくして、施設中心部で一人の少年が目標に接近する。 白い防護服に身を包んだ彼は、当然のごとく正規の手続きで隔壁の認証を通過する。 目標の名はPTS01。 丸い外角に覆われ、いかなる衝撃も致命的で、そしてそれを手にするだけで脅威となりえる、機密情報の塊。

想定されていない内部からの犯行。そしてそれに呼応する形で現れた襲撃者。 厳重な警備さえも、「それが敵の手に渡る前に阻止する」という前提を覆されてしまえば、対処療法的な迎撃さえ意味をなさない。 たった二人の少年に為すすべなくそれは奪われ、そして彼ら姿を消す。 現場に書かれた「VON」という謎の文字列を残して。

半年後の東京。2人の少年が学校に向けて猛暑の街を歩く。 お互いをナイン(nine)、ツエルブ(twelve)と呼び合う彼らは、複数の女子に囲まれ制服のままプールの縁に立つ、三島リサに出会う。 ツエルブは聞く。なぜ服を着たままプールに入ろうとしているのか、と。 いじめと親からの抑圧。すべてを諦めきった表情をした、どこにも居場所のないような彼女は、なんの期待もなく答える。 ただ「暑いから」と。 それを聞いた彼は躊躇いなく、そして心底楽しそうな笑顔で、勢いよくプールに飛び込んだ。 何もかもを諦めてはずの彼女は二人の少年を見る。 プールに浮かぶ彼と、ただ眺めるだけの彼。 太陽のような笑顔と、氷のような瞳。

救いの手を差し伸べたような2人の少年は、しかしその日、停電を発生させ都庁を爆破し、スピンクス(Sphinx)と名乗り犯行声明を出す『テロリスト』だった。 周到な計画と異常な実効力によって彼らは警察に挑戦状を突きつける。 彼らの目的は何なのか。彼らは一体何者なのか。

どこにも居場所のない少年たちの、『存在証明のテロリズム』が始まる。

雑感

テーマについて

テロリズム』と『青春』の2つの柱がある。

この『テロリズム』という題材、もちろん1995年から或いは2001年からのテーマとしてとても現代的な印象を与えますが、しかしこのアニメの根底には1960、70年代の空気が流れているんじゃないでしょうか。 実際、8話で柴崎刑事が学生運動の話を持ち出して「今じゃテロリストと呼ばれるスピンクスも、時代が違えば別の名前で呼ばれていたかもしれない」というように現代的な『テロリスト』というよりは、どちらかというと抵抗権的な捉え方をしている。 現代的なテロリズムというのは、これは自分の認識ですが、主義主張というよりも単なる暴動的な破壊行為を指しているように思えます。 政治的主張よりも報復や復讐という暴力を行為すること自体が目的であって、何かを要求することは必ずしも伴わない。 9・11や地下鉄サリンのように破壊的行為そのものによる恐怖の流布がまず目的であり、主張は暴力行為に付随しない、というのが現代のテロリズムの認識と勝手に思っています。 とすると、このアニメにおける『テロリズム』はこの意味での『テロリズム』には値しない。なぜなら暴力行為は主張に伴うものだから。

つまりは主義主張を行うための暴力。 日本においては、それは学生運動安保闘争の歴史からある意味「恥の歴史」として認識されてしまっているわけですが、このアニメではその点について再考を求めているようにも感じます。 いや、だからといって暴力的主張という行為が肯定されても良いのか、というと勿論そうではないですが。 ただ一方で、例えば今アメリカで起きているBLM運動に対する日本の冷ややかな目線というのは、そういう行為についての恥としての歴史認識からくる過剰反応なんじゃないかと思うところもあるわけです。 一度できてしまった社会のシステム。最初から計画的に設計されたわけではなく、当時の制度や背景によって自然の摂理的に構築されてしまう社会には、どうあがいても既得権益層が存在してしまう。 そういう層がさらにシステムを有利に形成するというポジティブフィードバック(状況的にはネガティブですけど)が起きている中で、そのような社会を再度構成しなおすためには強力な実効力を伴う主張が必要とされる。 アメリカは独立宣言を起源に持つ国家であって、銃の携帯は自衛権だけではなくそういう抵抗権という意味合いもある。 市民による社会の成立、という点を重視しているから整備されている考え方であって、その在り方を頭ごなしに否定するのは筋違いなんじゃないでしょうか。 革命に対する認識は独立宣言をアイデンティティに持つ米国とそうではない日本で異なるわけで、日本の価値観から批判することは安易にはできない。 いや、だけど学生闘争が良かったか、なんて話は一概には肯定できませんし、うーん。自分は何が言いたいんでしょう。

次に『青春』というテーマですが、これは主人公3人がそれぞれのアイデンティティのために行動していることから見受けられます。 冒頭のリサの行動や、後々明らかになってくるナインとツウェルブの素性からも、彼らはみな居場所がありません。 それらの居場所の剥奪というのは、リサなら親、ナインとツウェルブなら国家的権力という、立ちふさがる大きな存在によってなされています。 という意味で『親殺し』(オイディプス)な物語設計になっているわけですが、これ上手いのは、ナインとツウェルブに加えてリサというキャラクターを作ったことにあると思うんですよね。 ナインとツウェルブの素性というのは物語において解明されるべきミステリーとして残しておきたい一方で、前述した居場所を探す少年少女というテーマも冒頭で明らかにしておきたい。 そこで、早い段階で日常から抜けてくるリサというキャラクターを置くことで、この問題を解決している。 なるほどなぁ。 そのおかげでリサの役割がそこで終わってしまった感もありますけど。 その後リサちゃん、勝手に行動したりして足を引っ張ったりバカな女だと罵られたり…。 でも可愛いから良い。そんなことはどうでもいいんですよ可愛いから。可愛ければ許される。

しかしこう考えてみると、じゃあこの物語はモラトリアムについての話だったんじゃないかと言われると、確かにそれは否定できないわけです。 社会の成り立ちや調整、その維持のために迎合しなくてはいけない現実。それに対して無考慮ともいえる実力行使。 彼らが社会に向けてはなった銃声は、彼らが本質的に社会からの除け者であったがゆえに納得感があるだけで、もし彼らが単なる大学生なら、これは愉快犯で終わってしまう。 それはこの物語の意図する主張と、皮肉にも逆の見方を提供してしまっているんじゃないだろうか。 物語の設計的に作ったキャラクターのバックグラウンドが、逆に暴力的声明という行為の正当性を(本来の広さがどの程度かはさておき)狭めている。 と、書きながら、これは古き良きセカイ系の文脈に戻ってきた、ということかとふと思います。 まぁ物語として描き、それが受容されるためにはそれ相応の理屈がなくてはならないので、仕方のない構造なのかもしれません。 そういう意味でもそれなりの人々から見たら問題作なんでしょうね。

表現など

計画段階でのナインとツウェルブのシャキシャキした動きに機能美を感じたり、アクションシーンでの迫力ある爆破やカーチェイスでハラハラしたり、リサちゃんの愛らしい仕草や行動でなごんだりと、緩急合って心地よく楽しめた。 個人的に好きなところは、マニア受けするような地味なところ、例えば警察でそれぞれの部署が調査解析結果を報告するシーンや、アメリカ諜報員の人々の英語でのやり取り、柴崎刑事の地道な捜査シーン(国立公文書館に行くところとか)で萌えたり出来て、そういう作り込みも流石ノイタミナ枠って感じでした。 そういう地道さが映えるのも、画作りがリアルテイストだからこそであり、インタビューで言われているように海外ドラマを撮るように陰影の濃淡で表現される重厚さがその味を引き立てています。 デスノートの背景の話で「背景に説得力があるからギャグにならず、あの話が成立するんだよ、凄い」*1 という話が合ったように、ともすればやってることの非現実感で逆になってしまうところを、こういう画作りで説得力を持たせるから何となく納得感をもって楽しめるわけです。 もちろん面倒くさいことを言えば、日本国内で銃撃ちすぎでしょとか、狙撃で「何でそっち撃つの?!」とか、ハイブちゃん構って欲しくて手を抜いちゃうの可愛いとかなるわけですが、まぁそこは愛嬌です。

強いてツッコミを入れたいとすれば、リサちゃんをもうちょっと成長させてあげて欲しかったというか、足引っ張りキャラで終わってしまったのは少し、多分萌えちゃったからでしょうが、「なんとかしてくれ!」とは思いました。可愛いだけじゃかわいそうだ。もっと頑張るところを見たい!いや、むしろそれが良いのか?ちょっと足引っ張り気味なところがほほえましいか...。でもそういう雰囲気でもないよね、このアニメ。

小ネタ(ネタバレ)

ISA(Intelligent Support Activity Intelligence Support Activity - Wikipedia)というのは今回初めて知りました。Wikipedia詳しく読んではないけれども、こういう諜報機関って生まれては再編され生まれてはまた再編されと、なかなか定着しないんですかね。そう考えるとCIAもNSAもよく生き残ってるな。日本とかだと諜報機関を作っても情報共有がされずに結局機能不全を起こしてしまう、みたいな話を読んだ気がするけど、実際のところどうなんでしょうかね。調べてみたい。 高高度核爆発も初めて知った。たしかにWikipediaとか読んでて思ったけれども、核爆発の光直視しちゃまずいでしょ。実際、広島長崎での原爆ではかなり強い光で地面に焼き付けとか出来ているらしいので、直視したら網膜痛めそう。

おわりに

今1960年代の空気を知ろうとしても難しく、僕らが知っているのは9・11とサリンがあった2000年代であって、それしか知らない風景では感じられない問題意識がある。それが今でも問題であるかはさておき、その価値観というも知っておかなくては、自分たちがどういう形で形成された社会に生きているのか、わからなくなってしまう。かつての人々が考えた問題を土台に僕らの社会が成り立っていることには他ならないからこそ、そのことを忘れず覚えておくことが必要なんじゃないだろうか。そしてその価値観というのは恐らく過去の物ではなくて、今の現代でも本当は頭の片隅に置いておくべきことなんだと思う。だってそうじゃないか。人間は歴史を繰り返すものなのだから。

参考

公式インタビュー*2

*1:[]

*2:Special | TVアニメ『残響のテロル』公式サイト