No (refractory) title : spectrally stable

本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

神様になった日 (2020) を見た

博論も提出し残るは来月の審査のみ、と、心理的余裕が出てきたここらでリハビリしていこうという魂胆。 (まぁ、審査が100%通るわけではないんで完全解放とは言い難いんですけどね......)

あらすじ

ごくごく平凡な高校生、成神陽太のもとに突然、魔訶不思議な格好をした少女、佐藤ひなが現れる。 修道着ともコスプレとも似つかない、強いて言えば「神秘的で目立つ格好」と言うような、そんな奇妙な姿をした彼女は、自身を神と名乗り、ひょんなことから彼の家族と過ごすことになる。 見慣れぬ恰好以外、ごく普通に見える彼女は、しかし予知にも似た助言を陽太にしながら、彼の恋路、幼馴染、伊座並杏子への恋を手助けする。 陽太とひなと、そして彼らを取り巻く友人たちの、ドタバタで、にぎやかで、それでもごく普通の、そして誰もがきっとそう呼ぶ夏を過ごしながら、でも彼女は時折こう告げる。

「もうすぐ世界は終わる」

これは、神様になった少女と、その運命を『受け入れる』ための、少年たちの物語。

テーマ

12話まで見ないとこの物語のテーマは見えてこない。 逆に言えば、11話以前は全て12話の展開を根拠づけるための下準備に過ぎない。 そういうわけなのでテーマを言ってしまえば、これは完全なネタバレになってしまう。 ネタバレを恐れず言うのであれば、これは『意思を主張することのできない存在とどう関係するのか、どう接するのか』というテーマだ。

佐藤ひなは予測の域を超える、ほとんど予知とも言うべき助言で陽太の恋路を助ける。 話が展開する中で、その超人的な能力は実は、彼女の先天的脳疾患を克服するために移植されたデバイスの、その副産物であることが明らかになる。 脳のほとんどが機能しない病。 その病に侵されれば本来、彼女は歩くことも、言葉を発することも難しい状態だった。 それを克服したのは、彼女の祖父が開発した演算装置だった。 全ての情報をネットから収集し、古典計算機では到底到達不可能な無限の組み合わせ問題を紐解く、超常的技術で実現された驚異の電子装置―常温動作可能なチップ型の量子コンピュータ。 その存在自体が既存の情報セキュリティを脅かし、あまつさえ未来の予測、あるいは予言すら可能としてしまうオーバーテクノロジー。 世界を統べる大きな仕組みは、これを排除することによって一時的な均衡を保つことに決定する。 結果、佐藤ひなは再び歩くことも言葉を使うこともままならない、不自由な体に成り果てて、山奥の特殊な病院のサナトリウムでの生活を余儀なくされる。 陽太は彼女を再び仲間の下に連れ帰るために、サナトリウムへと赴く。

ここまで見ると、「あぁ、じゃあ主人公の不断の努力や仲間の後押しで彼女は元に戻るんだな」と思うわけだけど、というか11話ではそうなると思っていたのだけど、そこは麻枝准、そんな安易な結末には落とさなかった。 結論は、「佐藤ひなは完全には元に戻らない」というオチだ。 確かに主人公の不断の努力や仲間の後押しで、佐藤ひなは陽太たちのことを思い出す。 しかし、やはり話すことや歩くことはままならず、その病が治ることはない。 彼女はいわば障碍者として生き、そして主人公たちはそんな彼女に寄り添って生きていくことになる。

興味深いのは、佐藤ひなは微かにその意思を示すだけで、しかしその微かな意思を主人公たちはよりどころにして生きていくところだ。 彼女の明確な意思は見えない。 陽太は、彼女が何か意思を示しているということを受け取って、それが「こういう意図だ」と信じて接していく。 本編では彼女の意思は陽太たちによって解釈される。 つまりは、意思の表示は周りの人間に委ねなれていることになる。 とした時に、じゃあそれが正しいと誰が決めるのだろうか。

というところまで考えて、「これって結論できる話なのか?」と思うわけです。 本作品では結局、主人公たちが「佐藤ひなは僕たちと一緒にいたいと思っている」と考えたからこそ(そしてそれを周りが肯定したからこそ)、最後は主人公たちのもとに戻ってくることになる。 彼らはともに過ごした、楽しくて充実した一夏の思い出を糧に、ひなと共に未来を歩むことを選らぶ。 でもこれが正義だとは、なかなか断言しづらい問題ではある。 麻枝准もそこはきちんと現実的な(というかよく展開されるような)主張を踏まえていて、劇中で彼女の実父が「新しい今の生活を守るために手放した」と主人公に告げる。 主人公はそれを否定するが、彼はただ「子供だからわからない」と言い放つ。 こんなことは良くある話で、少子高齢化の日本で言えば高齢者施設に預けられる人々が好例だ。 認知症を患ったり障害がある人間を家族だけで介護することに無理があるのは、介護疲れやそれに伴う鬱での自殺、心中が物語ってる。 だから、一概に一緒にいることが正しいとは言い切れない。 しかしながらこの物語を見る分には、この反対命題を使って、逆説的に麻枝准は「そうじゃないだろ」と言っているように思う。 少年が語るように、そして平凡な主人公だからそう言えるように、寄り添い続けるべきだと主張する。 それがこの物語のテーマであり、それがこの物語の語りたいことであって、それが12話で提示される主張だ。

......いや、これ、冒頭1,2話見たところで絶対にわからないし、予想もできないっすよ。 まぁ、恐らくは意図的にそういう風に見えないにように展開していて、これはまったくもって推測でしかないのだけど、その最後のテーマがあまりにも「真面目過ぎる」、あるいは「現実的すぎる」からこそ隠したかったのではないか、とも思う。

表現

流石のP.A.Works、背景作画の広さというか彩りの鮮やかさは右に出るものがいないという感。 というかやっぱり全体的に丁寧な作画ですよね。 ギャグ顔やオーバーなリアクションはコメディタッチにカットを割って、シリアスシーンはじっくりとカメラ移動も少なく映す。 ただ一方で、もっと主人公の表情芝居に誇張があっても良いように感じた。 それはそもそも主人公陽太のキャラクター設定が(恐らく)「平凡でよくいる普通の少年、ただしネジの2,3本は外れてる」という感じだったからかもしれないけれども、もっと状況に直面していることの必死さが表れていた方がよかったように個人的には思う。 そうでないと、彼の行動や言動がどうしても傍から見たというか、楽観的で希望的観測でやっているように見えてしまうように感じる。 そもそもテーマ自体が物凄く難しい問題で(それはともすれば悪のように見える行為をはらんでいるから)、それを理解したうえでそれでも希望を信じる選択肢をとるということで説得力が増すと個人的には思う。

雑感

というか、12話の時点でやっとテーマがわかるような脚本で良いのか?と個人的には思う。 だってテーマは議論すべきだし、議論の中でその主張の納得かんがあるんじゃないのか。

一番悪い点は、「世界の終わりまであと何日」といような煽り文句を毎回最後に入れることで、そこにドラマチックな展開があるかのように見せていることが拍車をかけてる。 でも実際は、世界の終わりが大きな問題なのではなく、実はもっと個人的な話だったのだと明かされてしまうと、不用意に期待を高められていた視聴者的にはそりゃ「拍子抜け」に見えるわけです。 いや、もちろん個人の世界が終わるっていうのも大きな話ではあるんだけども、普通に世界が終わると言われたら一般人を含む大きな世界でしょ、とはなるわけです。 そういう意味では正しくセカイ系ですね、この話。 かつて大きな世界と少年少女を結び付ける、個人を取り巻く大きな世界への責任感の無さが指摘されたセカイ系に対して、今回の話は個人の世界とそれと相対する少年少女なので、まさにきちんと大きさがあったセカイ系だ。 ん?ということはこれはセカイ系を否定する視聴者に対する反論の形をとってるのか? いやそれはそれでなんとも皮肉というマワリクドイというか当てつけっぽいというか……。 まぁ実際のところはよくわかりません。

というか、主人公が平凡なら平凡らしく平凡な悩みをするべきだったのでは? 上で描いたように、このテーマは恐らく誰しもが直面する問題で、誰しもが考えざるを得ない問題じゃないですか(医療技術の発達によって高齢者が生き残るようになったわけだから)。 つまりはそういう意味で平凡な思考をしたらどうしたって「離れていく」っていう選択肢が出ちゃう中で、あえて「寄り添おう」というにはそれ相応の根拠や動機があって欲しいと思うところです。

ていうか常温動作可能な量子コンピュータって、オバーテクノロジー過ぎる。 常温核融合じゃあるまいし、原理的に温度が高くて出来る事なんか? まぁSFだから良いんか......。 きっとデコヒーレンスを抑える機構とか小型化で量子効果が出やすいとかあるんでしょ、知らんけど。

まぁそれはそうと、正直に言うと自分は伊座並ちゃんファンだったのでもっと優遇されてほしかったすね......。 石川由依ボイス......良き......。 ヴァイオレットエヴァーガーデン見に行ってないなぁ......。

おわりに

拍子抜け、と言われたらそうかもしれませんが、それでも語ろうとした命題は現代の切実な問題を写しているように思う。 そういう意味では非常に意欲作だし、それを語ろうとするのは流石の麻枝准× P.A.Works

思い出が今の自分を後押ししてくれる。 掛け替えのない日々が困難に立ち向かわせてくれる。 そういう、青臭くて、でも忘れてはいけない気持ちを思い出しながら、現代の抱える答えようのない問題に想いを馳せられる、良い作品だったと思う。