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本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

遠心力を考える

これは「遠心力とは」で悩む「かなり真面目な」人向けの解説記事+自分の理解が深まったメモです。考えたらいろいろ理解しなおせたのでメモしときたい、という気持ちでこの記事書いています。自己満足。でも何かを書くってそういうものなのでは……。はい。

遠心力を考える

ニュートン力学の約束事

ここではまず、ニュートン力学として以下の2つの約束事だけを考えましょう。

  • 物体は何もしなければ必ずその速度を維持し続ける。
    • つまり、「静止しているものは静止し続け、動くものはその速さと向きを変えない」と言うやつです
  • もし速度が変わったとすれば、そこには力が掛かっている

この2つを約束事として絶対に守る、とここでは決めます。そしてこれをここでは「ニュートン力学」と呼びましょう。

今回重要なのは力の定義です。ごく自然に生活していると、「力が作用してものが動く」と言う風に力の働きを感じていると思いますが、ここでは逆で「動きが変わるならそれが力である」と『運動から力を定義する』という形で書いています。これはまったく日常の感覚からずれてしまうんですが、今はこの約束事で考えましょう。

スペースコロニーを考える

さて、上記の設定を仮定して遠心力を考えて見ましょう。そのためにスペースコロニーを2つのパターンで考えて見ます。え、スペースコロニーって何って?ガンダムとか2001年宇宙の旅の表紙に書いてあるやつです(不親切)。いくつかスペースコロニーには種類がありますが*1、ここでは簡単のために単純な円形のわっかが浮かんでいるとします。しかも人一人ぐらいしか寝転がれない狭い幅のわっか。これがくるくるとまるで車輪を回すかのように回っていると考えて見ましょう。

1つ目のパターン:外からわっかを眺めてみる

1つ目のパターンは、このわっかの上にだれか寝転がっていて、その人を外からふわふわと宇宙空間に浮きながらあなたが眺めている、そんなシチュエーションを考えて見ましょう。

さて唐突に、あなたは次のことが気になり始めます。「あの誰かにはどんな力が掛かっているんだろう」。そんなこと考えないって?まぁ、今は考えて見ましょうよ。あなたはどう考えますか?

ここで思い出して欲しいのは、先ほどの3つの約束事です。特に3つ目を思い出してみましょう。「速度が変わっているのであれば、そこには力が掛かっている」。では、スペースコロニーに寝転がっている人の動きはどうなっているでしょうか。まっすぐ進んでいる……わけではないですよね?この人は回転しているので、ある意味常に動きの向きを変えている、と言っても過言ではありません。ちなみにどちらに速度を変えているんでしょうか?瞬間瞬間では円運動の接線方向に進もうとしているはずですが、実際は曲がってしまうので、これは中心に向かって力が掛かっていることになります。この力は、わっかが寝転がっている人を支えることで生まれている、といっても良いです。もしその誰かがわっかから乗り出して外に出た瞬間に、その瞬間の円上の点の接線方向に飛んで行ってしまいます(放物線を描かないことに注意)。

この「外から見たときに考えた力」のことを『向心力』と呼んでいます。なるほど(となってくれると嬉しいです)。

2つ目のパターン:わっかからから外の人を眺めてみる

次にあなたは、わっかの上で寝転がっている人です。あなたは突然、「自分にはどんな力が掛かっているのだろう。」と気になりました。自分に力が掛かっているかどうかは、自分が速度を変えているかわからないといけません。いや、速度を変えているのはさっきの話で分かってるでしょ、と思っているそこのあなた。それはいわば神の視点なので、この場合は完全に忘れてしまいましょう。いや、人間は加速度感じられるでしょ。ジェットコースターとか乗ってみなよ、と思っているそこのあなた。今はそれすらも忘れてしまう事にしましょう。内耳はそこまで発達していないとしてください……。ではどうやって力を測るか。

そこであなたは、適当なボールを掲げてある時に手を放してみることにしました。もし自分たちに力が掛かっていないのであれば、離したボールは手を離した場所に静止し続けるはずです。

ではボールを放してみましょう。このボールはどのように動くのでしょうか。ここでいったん、外側でふわふわ浮いていた誰にかに視点を移してみます。この人から見たとき、ボールはわっかの(+ボールを持っていた人の)支えを失って、円運動の接線方向に飛んで行ってしまうでしょう。つまり、わっかから遠ざかるように飛んで行ってしまうわけです。

では、この運動をわっかの私たちからみたらどうでしょうか。手を放した瞬間、飛んでいってしまうはずです。先ほどの話を思い出しましょう。もし私たちに力が掛かっていないのであれば、静止し続けるはずでしたね。勢いよく遠ざかってしまうということは、何か力が掛かっていたのです。

これを『遠心力』、あるいは広く『慣性力』と呼んでいます。

こう考えると、先ほどのスペースシャトルに面白い現象が見られることがわかります。例えば、わっかの回転方向とは逆にわっかの上を走ってみたらどうでしょうか。特に、「外側から見たらまるで『ハムスターの車輪のように』その場に静止している見えるぐらいの速さで」わっかの上を走ってみましょう。外側から見ると、走っている人はその場にとどまっているので静止していることになります。力が働いていない、つまり無重力になっているのですね。そう考えてみると、回転方向に走るとどんどんわっかの上の見かけの「重力」はどんどん軽くなっていきます。

すこし深く考えてみる:なんで『見かけの力』と言うのか

ここでふと、こういった遠心力などの慣性力のことを『見かけの力』との呼ぶのか、を考えて見ましょう。

本当には力が掛かっていないから?それは合っているようで間違っています。わっかの上から見た人にとっては、手を放したボールは静止し続けず動き出したのですから、やはり力はかかっているのです。

これは、「外側の人から見た力が真の力の姿だとした時に」その力は存在しないのに、わっかの人にはあるように思えるから「見かけ」なのです。

ではなぜ外の人を特別視しているんでしょうか。それには、今暗黙に仮定されている前提があるからなのです。

さて、これまでの議論、鋭い人は気が付かれたかもしれませんが、ある重要な仮定が前提として置かれているんです。それは

『世界には必ず、上の約束事が満たされる空間が存在する』

つまり、その空間ではかならず物体は『静止し続けるものは静止し続けて』『動いているものはその速さと向きを変えない』ことが実現される。そんな空間が必ず存在する、と言うのがこの仮定です。これを慣性系と呼びます。

この慣性系の存在を信じられるからこそ、「物が動いたから力が掛かっている」と思えたわけです。ニュートン力学は、いわばこの『慣性系の存在』が原理として仮定されていたわけです。だからものの本だと、ニュートンの3法則を『慣性系の定義』と言っていたりするわけですね。

今回の話では、外の人はボールを手放してもずっと静止し続けます。つまり、外側でふわふわ浮いている場所は『慣性系』となっているのです。この慣性系が特別視されているから、つまり慣性系で見たときに定義される力を真の力だと考えるから、見かけ、と呼ぶわけですね。

すこし広げてみる

慣性系の定義で許されないのは「速度を変えること」なので、それ以外は許されます。逆に言えば、等速度で動いている空間は静止している空間とはその中にいる人にはほとんど見分けがつかないわけです。例えば電車でも、一定速度で走っている時に寝てると停車しているのかわからなくなる時があるでしょ?

こう考えると、ニュートン力学は自分たちの生活に非常に肌感覚としてあっているので、視点の変更あたりは難しいですが、感覚的にはわかりやすいものです。

ただ、この視点を変える、つまり観測者の置かれた状況で、ある原理だけを仮定してその原理に当てはめて現象を考える、というアプローチが腑に落ちると、実は相対性理論を簡単に理解することが出来るんです。議論の考え方は同じで「ある約束事を仮定したときに、何が言えるのか」を考える、というのは共通しています*2

終わりに

観測者の置かれた状況で、ある原理だけを仮定してその原理に当てはめて現象を考える、という発想でニュートン力学を見直せたのは、相対性理論を勉強したからかなと個人的には思います(いや、本当に頭のいい人はすぐ気が付くんでしょうけど、ぼんよーな人間なのです…)。

考え方や見方を学ぶことでいろんな解釈、広がりが見えてくる、と言うのがやっぱり学問の面白さ、とかなんとか思いながら一方で「食っていかねば」となっている今日この頃。世の中よ……。

たまには物理のことを考えるのも楽しいですね。社会人になってめっきりこんな機会もなかったし、最近は工学だしソフトウェアエンジニア擬きだし研究でもないし開発だし……。とか思うとしょんぼりしてくるので、今日はここまで。楽しかった。

*1:ja.wikipedia.org

*2:興味のある方は手前みそで申し訳ありませんがこちらの記事teniwoha.hatenablog.com をご覧ください