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本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

アイの歌声を聴かせて(2021)を見た

久しぶりの映画感想。流石あのイヴの時間を脚本監督された吉浦康裕監督。いろいろ考えさせられたり背景設定に思いを巡らせられたりしてとても楽しかった。感想を書きたくなる一本。ただ趣味を抜きにしてみると「企業研究者倫理はどこへ……」となあるあたり、しょくぎょーびょー。仕事、忘れようね。

あらすじ

それほど遠くない未来。とある大企業《星間エレクトロニクス》の実験都市 景部市は街のいたるところで知能化技術が試験される。ごみ処理ロボット、太陽光発電風力発電、バス運転ロボット、そして家電製品も。そんな街の高校に通う悟美は、とある事件のせいで「告げ口姫」と言われて孤立し、友達がいない学校生活を送っていた。そんなある日、突然謎の美少女転校生シオンがやってくる。悟美を見るなり「今シアワセ?」と聞いてくる彼女は、実は星間の研究者である悟美の母、天津美津子の試験AI(を搭載したロボット)だった!試験内容は「一週間誰にもロボットだとバレない(いわゆるメカバレ)」しないことだった。とにかく悟美を幸せにしようとするシオンは暴走しがち。シアワセの意味を知るべく、突然歌いだしたり、踊りだしたり、いろんなものをハッキングしたり。そんなお騒がせな、だけど一生懸命なシオンに振り回されながら、悟美は幼馴染の十真(トウマ)、何かと突っかかりがちな綾(アヤ)、その彼氏のゴっちゃん、トウマによくAI柔道練習ロボットを直してもらっているサンダー達と友情を育んでいく。彼女の直向き(ひたむき)さが起こす騒動は次第に学校を飛び越え、遂には企業を巻き込んでいくー。

きっと歩いて行ける未来を想い描く、少年少女と『アイ』の物語。

表現

PVを見て頂けるとわかるように、歌いながら踊るド迫力の作画。ミュージカルを交えた軽快なテンポと、少年少女たちが等身大でぶつかるジュブナイルものだからこそ、とにかく楽しそうに、ダイナミックに動かす演出は見てて気持ちが良かった。なので演出は感情にビタビタに寄せていて、暗い時は暗い、明るい時は徹底的に明るく、きらびやかに。ただ、話はドロドロとしたものではなく、悩みはどちらかと言うと軽めに進む。不快感のないように正面切ったぶつかり合いで進むので「心を痛めつけるのが気持ち良い」と言うタイプの映画ではない。全体の世界観は「近未来SFとしてのリアリティ」と「ジュブナイルものとしての等身大感」と「ファンタジー(以外にも)」なので、キャラデザはデフォルメしすぎず、かといって写実的でもない。なので敵対キャラも「とにかく合理的で冷徹」と言うよりは「やられ役」という表現。と言う風に少し茶化しているはずなんだけど、なぜかAI試験グループを率いていた影の主人公 天津美津子のやさぐれるシーンは重たすぎてちょっと辛かった。とはいえ、それも彼女というキャラの背景を考えると無理からぬところだし、その後の逆転のために必要な「負け」のシーンなので、作劇上仕方なし感はある。そんなに気にはならなかった。シオン役土屋太鳳さんの演技は“旨い棒”で「これ、好きな奴や……」ってなってました。やばいやつですね。悟美役福原遥さんの声、どっかで聞いたことあるなぁと思ったら実写版ゆるキャン△の志摩リン役で手をたたきました。全体的に楽しくみられる軽快な演出+クライマックスに向けてのシリアス具合と、よくできた脚本だったと感じました。一方で、序盤イヴの時間でも感じた「ちょっとテンポはやくない?」感が少しありましたが、時間がね。そのあたり1クールアニメやってくださいという感じでした。全体としてはとても満足感あります。

雑感(ネタバレ)

いろいろ書きたいことはあります。シオンって実はめちゃくちゃやばい超知性体じゃね?とか、シオンのもともとの素体に入っていたAIは実はシオンに上書きされてしまって実は試験内容が最初から崩壊してたじゃん。とか、きっと素体に入ってたもともとのAIはそれほど性能はなくて、ウォズニアックテストなのだから単に高校生活を無事に過ごせればよい程度の汎用AIだったんだろうな。とか、支部長さん悪役に書かれているけど責任の所在を明らかにしているまっとうな大人だよな。とか、天津先生絶対マッドサイエンティストでしょ。とか、いろいろ思うところはあります。

ですが、そう言ったマニアックな話を差し置いて語るべきは、この物語の焦点はどこかと言う話であって、そしてこの物語、タイトルに『アイ』と書いてるし、あらすじにも『ポンコツAI』なる単語があるので「やっぱり人間とAIの関係性の物語かな」と思ってしまうところです。そして全編通してみて見ると、イヴの時間からきっと相も変わらずそのテーマは『AIと友達になる』って話なんじゃないか、と思うわけです。それだけ聞くと月並みですが、ところがそこに至るまでの論理が面白いと思います。

シオンはことあるごとに悟美にシアワセかどうか聞いてきます。それはもともとシオン(の素体に入ってきた超知性体AIなのですが)の原初の指示に即しているわけですが、それは実は舞台装置でもあります。シオンは「どうすればシアワセになるのか」という問いをクラスメイト達に聞きながら、「幸せな学校生活には友達が不可欠」「友達が幸せだったら自分も幸せになる」というシアワセになる方法を学習していきます。だからこそ、シオンは悟美に友達が出来るように行動し、また友達のトウマを幸せにしようとするわけです。

ここまで書いていると、ここでシオンという存在はあくまで「サトミを幸せにするための補助的な存在」であって、彼女自身は悟美との関係性に顕わには表れてきません。そして当然のことながら、その時点では彼女は悟美の友達ではなく、またシオン自身も自己認識として悟美と友達であるという認識はしていません。それがわかるのがある美術の授業でのシーン。友達を書きましょう、という課題で絵を描くシオンはキャンバスにお掃除ロボット君を描くのです(しかもその描き方がプリンターみたいい、と言う小ネタが付きます)。

しかし物語が終盤に差し掛かると、今度はシオンが悟美たちに助けられる立場になります。その過程でシオンと言う存在は、昔トウマが悟美のために改造したAIだったことが判明し、悟美の幼いころから見守ってきた(しかも一時消されそうになったところでネットに避難した上で。驚異的過ぎる)と言うのが明らかになったりしますが、そこは大した問題ではないような気がします。物語の一つのフックであって、長い間彼女を見守っていたその献身性ゆえにこそ彼女が慕われるべきだ、というのはあまりにも現金的過ぎる。それ自体は感動的ではありますが、物語の引き締めポイントに過ぎない+シオンという存在の行動原理の説明パート、という気がします。それよりも大事なのは、最後悟美がシオンに幸せだったかを聞くシーン。彼女は最後に、シオンとたくさん会話したことを思い出し、悟美に友達が出来たことを思い出し、そして自分は「幸せだったんだ」と言って彼女は天に旅立ちます(※字のごとく)。

ここにきて、前のことばを思い出すわけです。「友達が幸せだったら自分も幸せ」。その意味で、シオンは自分が幸せだったことを悟ります。つまり彼女は、それに自覚したことで悟美たちの友人になったわけです。

そこで一歩踏み込んで、じゃあ友達になると言うのはどういう事だったのか、と言うのをこの映画全体を見て思い返してみると、それはきっと『友達の幸せを願う事』だったんじゃないだろうかと思うわけです。友達が悲しい時、そばにいること。友達がつらい時、一緒に悩むこと。困難に立ち向かうこと。それはすべて結局のところ、その友人の幸せを願っているからなのだと思います。そして誰かの幸せを願う時、この物語においては、ある特別な行為をします。物語の中盤、シオンが連れ去られ、母が自身の努力を打ち砕かれて憔悴しきり、悟美は自分がやってきたことを後悔します。誰とも関わるべきじゃなかったと語る彼女の横で、トウマは歌います。シオンがかつてそうしたように。それは結局のところ、彼女を励ましたいからであって、そしてそれは同時に、彼女の幸せを願うからなのだと思うのです。

そうして、この物語がなぜ『アイの歌声を聴かせて』というタイトルなのかが、ここでわかったような気がします。誰かの幸せを願う事、それがきっと『愛』なのであって、シオンはずっと、愛を唄っていたのだと。

終わりに

ちょっと急ぎ足で書いてしまったのでいろいろ雑ですが、とにかく思いのたけを残しておきたくて書きました。AIが人間と同等、或いはそれ以上になった時の関係性のあり方を問う物語、最近いろいろと出ている気がしますが、イヴの時間の時から吉浦監督のアプローチはずっと普遍的なものを表現しているように感じました。いろいろ考えられて充実した映画だったと思います。

是非、一度ご覧あれ。