No (refractory) title : spectrally stable

本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

天気の子とCM

お盆休みで帰省した折、日清と天気の子がコラボしたCMを見た。

- YouTube

で、これを見た時になんとも言えない薄ら寒さ、みたいなものを感じたわけだけど、その理由を考えるに、たぶん天気の子がマスに向けた作品ではないにも拘わらず、CMというマスに向けた媒体に使われているその「ちぐはぐ感」が原因ではないだろうか。

CMで必要な「盛り上げ」に、今回の話は全く適していない。だって、そういう「みんなで盛り上げていこう」っていう調和を、この作品は真っ向から否定しているのだから。「みんなと」の話はどうでも良くて、「僕らが」良いと思う選択肢を選ぶって話なんだもん。そこに「みんなが盛り上がってどんどん買っていこう」みたいなCMは、完全に場違いだ。

君の名は。では、多分こんなことにはならなかった。あれは頑張る物語で、みんなで乗り切る物語で、協力とか、信頼とか、助け合いとか、そういったマスとの関係性、コミュニティに含まれることでの調和を肯定した物語だ。人々は無邪気に心を通い合わせるから、隕石が落ちる前に全員避難できちゃうし、主人公達は絶対にすれ違ってしまう場面で再会することが出来る。だから、君の名は。と言う作品が、ああいうCMに使われていても何ら違和感はない。コミュニティに属するみんなに対して発信され、それを受け止めたメンバー達が調和のために行動する。広告はそもそもそういう集団行動を煽る物であって、君の名はの題材はまさにお誂え向きだ。

でも、天気の子は違う。天気の子は、コミュニティから逸脱する物語であって、そのメッセージはマスに(その建前に)対抗するものだ。個人を調和の下で行動させるのではなく、それぞれが好き勝手にやることを肯定する物語だ。にも拘らず、コマーシャルというマスに向けた媒体において、マスとは対照的な(ある意味での)マイノリティに向けた映画を起用している、というその温度差がミスマッチと言うか空回りと言うか、そのかみ合ってなさが、あの薄ら寒さを醸し出してしまっているのではないだろうか。

こういうことを考えると、天気の子っていう映画が、実に切実で思い切った映画だったということに気が付かされる。この映画は絶対にヒットしない。恐らく次回の新海誠作品を見に来る観客の数はかなり減っていると思う。エンターテイメントとしての要素がきちんとあって、美術的にも優れていて、映画として申し分なく楽しめるにもかかわらず、そのメッセージの言外の圧力によって、恐らく興業的な成功は収めづらい。それでも次回作に来る観客は、確実に新海誠の次のメッセージが知りたくて来る人々だと思うし、それで良いと思う。次のメッセージに共感する人がまたやって来て、なにかを思って帰っていく。むしろ新海誠作品の良さは、そういった調和しない個人がよりどころにしている良さだ。その人気は、決して大きくなくても、強い人気になって、これからの彼の作品を待ち続けるだろうと思う。

2019/08/22追記

と思ったら、なんかヒットしちゃってますね...。ああいう感覚が今の世の中にあっているのかな。何にしても予想外。

「天気の子」興行収入100億円突破 新海監督作品: 日本経済新聞