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本、アニメ、映画の感想。時々まじめに物理。ごくたまに日記。

伊藤計劃記録II 読了

伊藤計劃のブログやエッセイなどを収録した伊藤計劃記録IIを読み終わる。 彼の社会やテクノロジー編深い洞察は、やっぱり勉強になる。

彼のブログ一つとっても(第二位相のこと)、適当に文章を書いているのではなくてきちっと彼の中の論理が解るように展開されているところに、文章や言葉というものに対する彼の真摯な姿勢が見える気がする。いやもちろん、趣味全開で書かれているから、話の内容はほとんどマニアックすぎてわからんこともある。特に、(いや、中身でも書いていたように「映画の話ができる人はたぶんいない」若者達の一人なので)映画の話はほとんど見ていない物ばかりで、「へーそうなんだ」程度にしかわからんかった。だけど、それでも「すげぇ面白そうな映画だな」と思わせる何かがあって、それは多分彼が適当に書いているんじゃなくて、伝えようと思って書いているからじゃないかと。何をって言われると、多分性癖…?どちらにしろ、文章を書くってことに真摯なんじゃないか。p233の「誰も信じるな」って題名のはてなブログエントリーの内容が、そういう文章に対する真摯さってのが出ている気がする。ちょっとまった、そこに書いてあるじゃないか。

そこにも書いてあるように、彼はべつにわかるように書いているわけではなくて、わかる人にはわかるように書いている。あれだ、この「面白い」は、全身全霊で自分の性癖をさらすオタクの熱い語りを聞いて「こいつすげえマニアックだぜ」っていう、オタク特有の畏敬の念が出てるだけな気がしてきた。自分の趣味に対して深く分析してしまうオタクの性質。その分析のシャープさにオタクは感動してしまう。なんて深い分析なんだ。こいつは好きなものを全力で好きになろうとしている。ってな具合に。分析の深さが愛の深さであって、それがオタクの深さ、そして趣味への愛を表している。

じゃあ、自分は何オタクなんだろう。何ならその深さで愛を語れるんだろう?わかんねぇ、オタクだけどオタクじゃない。これが現代のオタクかもしれない。 アニメは好きだけど詳しいわけじゃないし。なんじゃろね。考えよう。

結論:面白い感想っていうのは、そういう愛の表れが出ているもの。その愛はオタク界では深さで語られる

「ぽえむ」みたいになったので、次回はもっと論理的に書きたい。